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第7回 秀吉にみるオーナーシップ
以下は、司馬遼太郎氏の「新史 太閤記」の一節だ。
『猿は信長から禄という資本を借り、その資本によって信長を儲けさせ、そのことをのみ考え続けた。』
これは、秀吉が信長存命の間、一途に貫いた基本的なスタンスだ。
この一節は、我々に実に多くの示唆をもたらす。
ビジネスマンも秀吉のようでありたい。
社員を雇っていると考える経営者、自分は雇われていると考える社員が世に多い。
しかしそれは旧時代の考え方だと知るべきだ。
産業革命以後、20世紀は工場を持ち、機械を所有する企業が付加価値の源泉を握ってきた。
一般の労働者は、工場はもちろん、機械すら自分で所有することはできず、工場に働きに行き、そこで機械を使わせてもらわなければならなかった。
20世紀の付加価値の源泉が工場にあったとすると、これからの時代の工場は人間の中にあると言えるだろう。
人間の頭の中にある知識や情報、智恵や創意が付加価値を生み出す源泉となる。
ドラッカーは、『明日を支配するもの』の中で次のような指摘をしている。
「肉体労働を行う者は、生産手段を所有しない。経験は豊富かもしれないが、
その経験も、そのほとんどの場合、現に彼らが働いている場所においてで
なければ価値がない。持ち運びできない。
ところが、知識労働者(ナレッジワ―カー)は生産手段を所有する。
頭の中にしまわれてきた知識は持ち運びができ、大きな価値を持つ。
まさに生産手段を所有するからこそ、彼らの流動性は高い。
もちろん、彼らが特定の組織を必要としないわけではない。
彼らのほとんどは、組織と共生関係にある」
ナレッジワーカーは自らの生産手段を頭の中に所有している。
ネットワーク技術が発達し各人が生産手段を持ち、自分の頭脳を工場として付加価値を生むことができる時代になったのだ。
各人が持っている頭脳という工場をつないで頭脳工場のネットワークをつくっていると考えるとよい。
それぞれが得意分野を持ち、規模は大きくないが、質の高い仕事をしている。
それらがネットワークをつくって、全体として大きな成果を生む仕事をしている、というイメージである。
そうなるとそこには、雇う側、雇われる側という上下関係から、対等なパートナー関係が生じることになる。
パートナー関係というと、経営者の中には社員の立場が強くなって経営者の立場が弱くなると考えてしまう人がいるかもしれない。
しかし、パートナー関係というのは社員にとっても厳しい関係である。
経営者とパートナーたり得るだけの能力なり価値をもっていなければならないからだ。
「オレは雇われているのだから、そこまでやる必要はないだろう」などという甘えは許されない。
それぞれのパートナーが高い専門性と能力を持っている時、そのネットワークに価値があるのであって、一社員だからだからということで低い専門性を許容したり低い能力に甘んじていては価値を生まない。
これからのビジネスマンは、羽柴秀吉のように大いなる自負を持ち、ジブン株式会社のオーナーとして、得意分野に磨きをかけ、自社や顧客の重要なパートナーとなることを目指すべきだと思う。
次回は12月14日(金)の更新予定です。
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