「全てはお客様の成功のために」激変を乗り越えて変わらず進化し続けるThinkPad(前編)

「ThinkPad」には“丈夫で、信頼できるブランド”というイメージがありませんか? 世界で初めてエベレストや宇宙に持ち込まれたという逸話がそのイメージを裏付けています。また世界中で展開している製品でありながら、日本で開発しているというのも一つの特徴です。日本で開発を指揮してきた「ミスターThinkPad」ともいえる方のお話を伺いました。

[2017年 3月29日公開]

製品ではなく、お客様に目を向けて開発しよう

IBMというグローバル企業がノートパソコンを日本で開発することになった背景について、レノボ・ジャパン 取締役副社長 内藤在正氏(写真1)はこう話します。「日本の大和研究所で液晶ディスプレイやPCチップセット、藤沢研究所で小型ハードディスクなど、日本ならノートパソコンのためのデバイスや技術がまかなえたからなのです」

(写真1)レノボ・ジャパンの取締役副社長を務める内藤在正氏。IBM時代からThinkPad開発に携わってきた「ミスターThinkPad」 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

ノートパソコンはコンピューターの部品をコンパクトに集約した製品です。AC電源ではなくバッテリーで駆動させるところも、それまでのコンピューターとは異なる仕様です。日本IBMには研究所ほか協力企業の存在など、小型のパソコンを開発するための土壌がそろっていました。

最初に「ThinkPad」の名を冠した製品は1992年に発売された「ThinkPad 700シリーズ」(写真2)。業界初のTFTカラー液晶ディスプレイ(10.4インチ)とトラックポイントを搭載したモデルです。

(写真2)「ThinkPad」のブランドを冠した初の製品である「ThinkPad 700シリーズ」。写真はThinkPad 700C

今でこそThinkPadといえば丈夫なイメージがありますが、当初IBMは故障に悩まされていました。こぼれ話として内藤氏は「返ってくるものを見ると、ドアというドアが壊れていました」と言います。今はどのメーカーのノートパソコンを見ても「ドア」はほぼありませんが、当時は各種インターフェイス部分を未使用時にふさぐことができるような構造になっていました。これがことごとく壊れていたそうです。「結果的に『ないドアは壊れない』ということで、ドアは撤廃したのですけどね」と内藤氏は笑います。

製品を強化する過程では製品そのものだけではなく、試験体制も改良していきました。当初、試験は全て人間の手で行われていました。社内の人間であれば、製品がどのような構造をしているかをよく知っています。また高価な製品であることも。ちなみに、先述したThinkPad最初のモデルの価格は70万円台。価格と、開発時の苦労を知っている人では、乱暴には扱えないですよね。

「例えば開閉試験なら、社内の人間は負荷がかからないような場所をつかんで開閉してしまいます。落下試験なら加速度や圧力を確認しながら実施するものの、人間だと優しく触ってしまうんですね。耐久性など回数を重ねるものだと人間が延々と単調な動作を繰り返さなくてはなりません。それでロボットを作ることにしました。もう何種類も作りましたよ」(内藤氏)

そうして容赦のない耐久試験が実施されるようになり、製品強化を後押ししました。ここでの教訓として内藤氏は次のように述懐します。「それまで私たちは製品を見ながら仕事をしていたのです。この視点を変え、お客様を想像して開発するようになりました」

何よりも顧客を意識すること。これはThinkPadの哲学として脈々と後継機へ受け継がれるようになります。(中編に続く)

執筆:加山恵美(フリーランスライター)
編集・文責:株式会社インプレス

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