国民機パソコン、その誕生から引退まで(前編)

もはや仕事や暮らしに欠かすことができなくなったパーソナルコンピューター。アプリを動かす機器という点では手のひらサイズのスマートフォンも立派なパーソナルコンピューターです。

[2017年 4月19日公開]

マイコンからパソコンへ

日本におけるパソコンの歴史の始まりは、のちに国民機とまで呼ばれることになるNEC製品の足跡といっても過言ではありません。

ロッキード事件が世の中を騒がせていた1976年、NECは一般ユーザー向けのマイコントレーニングキットとしてTK-80を発売しました(76年8月 88,500円)。マイクロコンピューターというパーツで何ができるのか、どうすれば使えるのかを世の中に知ってほしいという願いを込めた製品です。パーツを売るためのキットですからいわば販促品。価格はどうでもよかったということですが、当時の大手企業の係長クラスがハンコひとつで買える価格ということでこの価格が設定されたそうです。

このキットが爆発的にヒットしました。コンピューターがあればなんでもできるという夢を抱いた一般コンシューマーさえ巻き込みます。それでも使いこなせる能力を持つのは、せっせと技術書を読んで勉強した一部のマニア、技術者に限られました。そこで、NECは、コードネーム PCX-1で開発を進めていたPC-8000シリーズを世に問います。ここで、パラダイムを「マイコンを学習するためのキット」から「プログラムを使うためのマシン」にシフトさせようとしたのです。

時に、米国ではアップルIIやコモドールPETなどが売れていた時代です。1978年にはNECの渡辺和也氏(当時マイクロコンピューター販売部長)はアスキー創業者である西和彦氏の仲介でマイクロソフトのビル・ゲイツに会うために渡米し、PC-8000シリーズ用のプログラミング言語としてBASICの開発を依頼します。

こんな具合に、NECのパソコンはマイコンという半導体を事業としていたグループがパソコンを売り出すことから始まりました。そんな経緯もあって、大型コンピューター等で大金を稼いでいた情報処理系に販売ルートを頼れないという事情もありました。

そうしたハンディがありながらもPC-8000シリーズは1979年に発売へとこぎつけ、ベストセラーになりました。そしてパソコンが一般のコンシューマーに受け入れられるようになったのです。ゲームなどのエンターテインメントはもちろん業務用のソフトが豊富にそろったエコシステムが築き始められました。

その後、情報処理系グループは、半導体グループから主導権を奪うかたちでパソコン事業に取り組むことになります。そして生まれたのが16ビットパソコンのPC-9800シリーズです。当時のめぼしいライバルは1981年末の三菱マルチ16シリーズと沖電気のif800シリーズで、どちらも70万円以上の価格が設定されていました。

この年、米国ではあのIBMがおもちゃのようなパソコンを扱うという揶揄(やゆ)に真っ向から立ち向かうかたちでIBM PCがデビューし、世界標準への道を着実に歩み始めていました。NECも、パソコンという商品の独自性をソフト戦略に求め、惜しみなく情報を公開してサードパーティを掌握するというIBM方式でビジネスを進めようとしていました。

そして、1982年10月13日。ついに発表されたPC-9800シリーズには、298,000円という価格が設定されました。当時としては破格です。この日から国民機と呼ばれる名機の歴史が始まるのです。

(写真1)パソコン国民機第一号、PC-9801

この日発表されたのはPC-9801。のちに無印98と呼ばれることになるパソコンです。インテルの8086互換16ビットプロセッサーとしてNECオリジナルのμPD8086を搭載した製品で、日本語を処理するというビジネス用途には欠かせないさまざまな工夫がちりばめられていました。もっとも日本語の字体を収録した漢字ROMは別売りでしたが、高速なグラフィックスによるスムーズな日本語表示ができるように設計されていました。この時点で、IBM PCと比べても技術的な先進性を持ったパソコンとして知られることになるのです。でも、その先進性が、のちに日本独自の仕様となる、いわゆるガラパゴス現象を引き起こすことにつながっていくとは、このときには誰も想像していませんでした。(中編に続く)

(写真2)NECのパソコンを国民機に成長させた、元役員の高山 由さん *内容は取材当時のもの

執筆:山田祥平(フリーランスライター)
編集・文責:株式会社インプレス

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