設計のあり方だけでなく、働き方も大きく変えたCAD(中編)

CADソフトウェアは数あれど、日本で広く普及しているのはAutodesk社の「AutoCAD」です。製品が持つ機能や特徴はもちろん、学生向けのアプローチやトレーニングなど初心者を取り込む戦略も功を奏しました。

[2017年 6月14日公開]

カスタマイズと、ユーザーを早くから取り込む戦略で普及

オートデスクの日本進出は1983年。アメリカ本社設立から間もない頃です。当時の日本法人はまだベンチャーのような規模だったので、事務室はマンションの一室でした。在庫であるAutoCADのパッケージは、押し入れに入れて管理していたそうです。

日本に登場した当時のAutoCADはMS-DOSで稼働するソフトウェアでした。WindowsのようなGUI(Graphical User Interface)はまだ一般的なものではありませんでした。当然、AutoCADの操作はコマンド入力を多用するものになります(写真1)。

(写真1)初期のAutoCADの画面。画面下にある「Command:」という表示は、ユーザーにコマンド入力を促すもの(提供:Autodesk)

実際の製図作業は、基本的には始点と終点を指定して線分を引き、必要に応じて寸法を示す数字を書き入れることの繰り返しです。当時AutoCADでは線分だけでなく、円弧、円を描くことができました。これに加えて連続した線分と円弧の集まりである「ポリライン」も描けました。このように、描ける線の種類はそれなりに多かったのですが、当時のディスプレイの解像度が低かったので、線を引く時は図面の一部を大きく拡大する必要がありました。当時のCADソフトウェアを使った製図作業は、拡大して細部を描き、縮小して全体を見渡す……の繰り返しでした。

CADソフトウェアはかなりのコンピューターリソースを要求するものと思う方も多いでしょうが、意外にもそうではないのです。80年代のMS-DOS時代のパソコンでも十分使えたほどです。ただし「座標」を扱うので、浮動小数点演算がどうしても必要になります。座標を示す値は小数点以下何桁にもなる小数です。その小数が示す座標を正しく計算するために浮動小数点演算が必要なのです。

当時のパソコンには浮動小数点演算ユニットは載っていなかったので、別売りの数値演算コプロセッサ(Intel 8087、80287、80387など)を追加で購入して、取り付ける必要がありました。それでもUNIXワークステーションを購入することを考えると、かなり低いコストで使えたのです。

CADの普及によって便利になったことの一つに、関係者間での設計図情報のやり取りが簡単になったことが挙げられます。前回述べたように、設計図を手描きしていた頃は、基本となる設計図をもとに各業者が必要な部分をトレーシングペーパーを使って書き写し、そこへ各業者にとって必要な部分を書き足していました。トレーシングペーパーを使った各専門業者向け図面は、AutoCADの機能で言えば「レイヤー」に相当するものになるでしょう。必要に応じてレイヤーを重ねたり、除いたりできるのは画期的なことであり、CADの普及を大きく後押ししました。

オートデスクでエバンジェリストとしてAutoCADの啓蒙活動にも携わっている伊勢崎俊明氏(写真2)は「柔軟にカスタマイズできること」を挙げます。設計図は国や業界、あるいは細かい利用シーンごとに表記のルール(標準)がそれぞれ少しずつ異なるのです。例えば矢印の末端の形や寸法の線の引き方など、業界ごとにそれぞれ異なるルールがあります。

(写真2)オートデスク エバンジェリストの伊勢崎俊明氏 *内容は取材当時のもの(写真:加山恵美)

AutoCADは建築業界での利用を想定していましたし、実際、建築業界に広く普及しています。ただ、建築業以外でもAutoCADの利用が拡大していきました。それには理由があります。実は、図面と一言で言っても、業種によってその書き方が大きく異なるのです。また、国や自治体を含め、納品先となる企業によっても、図面表現に細かい差があります。これらの差を吸収したのが、AutoCADが持つカスタマイズ機能です。さまざまな業界で、細かくカスタマイズできるところが高く評価され、普及につながっていたのです。

柔軟にカスタマイズができるという点が、思いもよらない業界で評価を受けたこともあります。複数の鉄道関係のシステム業者では、AutoCADでダイヤグラム(ダイヤ)を描いています。正確に言うと列車の運行ダイヤではなく、駅や車両基地での作業スケジュールを定めたダイヤをAutoCADで描いているのです。次々にやってくる列車のことを考えながら作業するには、列車の運行ダイヤを元に、作業スケジュールもダイヤで細かく定める必要があるのです。この業者がダイヤ作成にAutoCADを採用した理由は簡単。ダイヤを描くためのソフトをスクラッチで作成するよりは、AutoCADをカスタマイズしたほうが短期間で完成度の高いシステムができたからです。AutoCADの高い描画性能も活用できることも、都合が良かったのでしょう。

オートデスクの販売戦略も、AutoCADの普及にじわじわと効果をもたらしました。学生向けに低価格なアカデミックパックを提供したのです。大学生や専門学校生には機能限定版ではなくフルセット版を通常版よりもかなり安い価格で提供しました。こうしてAutoCADを手にした学生はAutoCADでCADを学ぶようになります。そして、彼らが社会人になると、使い慣れたAutoCADを使いたいと希望し、企業が彼らのために定価でフルセット版を購入するようになるというわけです。オートデスクはいわば学生に「先行投資」して、早い段階から取り込むことに成功したわけです。

そして、社会人になってからCADに取り組むというユーザーには、パッケージとセットでトレーニングコースを提供しました。これもアカデミック版と同じように、CADにこれから取り組むというユーザーに、AutoCADの使い方を覚えてもらって、後々までAutoCADを選ぶお客さんになってもらうという戦略です。

AutoCADは柔軟にカスタマイズできるという特徴と、アカデミックパックや初心者向けトレーニングなどの販売戦略で、ユーザーを確実に取り込むことで広く普及していきました。(後編に続く)

執筆:加山恵美(フリーランスライター)
編集・文責:株式会社インプレス

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