地方創生の第一線における
診断士スキルを活かした街づくり

講師:中小企業診断士/青森市 市長 小野寺 晃彦氏

行政の先頭に立ち、地方自治体の改革を推し進めている青森市長 小野寺 晃彦氏。小野寺氏は、中小企業診断士の資格を平成27年に取得しているという、地方自治体の長としては唯一の人。そんな氏が大塚商会の理論政策更新研修で研修を行った。参加者はもちろん、諸処の事情で参加できなかった中小企業診断士の方にもその内容をお伝えしたく、本来なら、研修の全てをお伝えしたいところだが、2時間を超える研修すべてをお伝えするのは、難しいため、中小企業診断士としての視点から実施された施策を中心に小野寺氏の研修のダイジェストをお送りする。

小野寺 晃彦氏 略歴

1999年4月
自治省(現総務省)入省
2005年4月
宮崎市財務部長
2011年4月
愛知県総務部財政課長
2014年4月
総務省地域力創造グループ地域政策課 理事官
2015年3月31日
中小企業診断士登録
2016年7月
総務省退職
2016年11月27日
青森市長就任 唯一、中小企業診断士資格を持つ市長

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青森市のプロフィール

県庁所在地、中核市

人口
28.2万人(令和元年6月1日現在)
面積
824.61 キロ平方メートル
祭・行事
青森春まつり(4月下旬~5月上旬)、青森ねぶた祭(8月2日~7日)、あおもり雪灯りまつり(2月下旬)
名所
八甲田連邦、酸ヶ湯温泉、浅虫温泉
旧跡
三内丸山遺跡、小牧野遺跡、浪岡城跡、高屋敷館遺跡
名産・特産
ホタテ(旬:6月~8月)、あおもりカシス(旬:7月)、りんご(旬:9月~11月)、ナマコ(旬:11月~1月)、八甲田牛

他候補と一線を画した公約は診断士としての知見と経験から生まれた

総務省時代、地方創生(まち・ひと・しごと)担当でした。地方都市の特徴として、「仕事がない」→「人が減る」→「まちが廃れる」といったことが話題に上ることが多くありました。国の、まち・ひと・しごと本部で話題に上る施策は以下のようなものでした。

  • しごと → 起業・創業:新ビジネス支援
  • ひと → 子育て支援:CCRC(注1)
  • まち → コンパクトシティ:LRT(注2)

総務省を退官する少し前に、中小企業診断士の資格を取得したのですが、この問題に対して、私は中小企業診断士資格取得で身に着けたスキルをもとに解決策を考えていました。青森市の市政運営で、これらのアイデアを具現化するために力を注いでいます。

(注1)CCRC(Continuing Care Retirement Community)
東京圏をはじめとする高齢者が、自らの希望に応じて地方に移り住み、地域社会において健康でアクティブな生活を送るとともに、医療介護が必要な時には継続的なケアを受けることができるような地域づくり」を目指すもの。
(日本版CCRC構想有識者会議:日本版CCRC構想素案より抜粋)

(注2)LRT (Light rail transit:路面電車)
古くから日本には路面電車が公共交通機関として活用されてきたが、自家用車の普及に伴い、道路上を運行するスタイルでは、交通渋滞が定時運行を難しくするなどの理由から、次々と廃止されてしまった。1970年代から、世界各国で見直され、モダンな新型車両の投入が行われ再び脚光を浴びている交通機関である。これまでの路面電車との違いは、経路の大半が専用軌道で、一部道路上の併用軌道を利用するというもの。東京さくらトラムと名付けられた都電荒川線や、富山ライトレール株式会社が有名。

下馬評を裏切り、他候補に大差を付けて市長選に勝利

平成28年11月、前市長が10月に退職されるに伴い市長選が実施されました。候補者は4人。当時、地元の下馬評では3人の候補者が団子状態だと言われていました。私以外の2人の候補者が掲げた公約は、「青森市役所の建て替えの計画があり、市役所10階建て100億円はやるべきだ。一方で経営破綻した市の第三セクタービル・アウガがなぜ破綻したのか、赤字の責任を追及せよ」というものでした。

これに対して私は、選挙公約を二人とは違う視点から訴えることにしました。「市役所10階建て100億円はやめましょう。そんなに大きな庁舎は不要です。だいたい3分の1でいいはずです。」と。アウガは、市のシンボルともいえる施設で、平成13年1月にオープンした商業テナントと市の公共施設を抱える複合ビルです。しかし、実質アウガ(青森駅前再開発ビル(株):第三セクターが運営・管理)は10年後には、24億円の債務超過に陥っていました。平成29年2月にはアウガ1~4階の商業施設の一部を閉店することになります。そこで私は、「アウガが駄目になったのだから、その空きスペースに市役所を入れます」という居抜き利用を選挙公約としたのです。この方法なら平地から10階建ての新庁舎を作るより安くて駅前のにぎわいづくりもできるという、中小企業診断士的な視点で考えたからです。

結果は前市長の後継候補をダブルスコアで破るだけでなく、他の三候補の得票を全部合わせても、私の得票数におよばないという、選挙前の予想を大きく超えるものとなったのです。

市が抱える負の遺産整理から市長としての仕事は始まった

市長になって最初の仕事は謝罪行脚です。複合施設であるアウガの中に入っている100のテナントに行って、謝罪することでした。各テナントは経営危機以降、「アウガはもうすぐつぶれるんでしょ」みたいなことを言われていました。テナントの皆様はレピュテーションリスク(風評被害)の迷惑を受けてしまったことになりますが、結果的には閉めなければいけない。一店一店頭を下げて回りました。当選してすぐに行動に移したことによって、この様子を地元のメディアが伝えることで、「アウガは商業ビルとしてあきらめざるをえない。首長が頭を下げてアウガを市役所とする」ということの認識が広まる結果となりました。最終的には、債権放棄の後押しとなり、市役所・金融機関・地権者が特別清算に応じてくれることになりました。また、市が全員の責任として管理職だけでなく、職員給与をカットもしました。これによって職員だけでなく、多くのみなさんがケジメをつけて街の再建に臨む市の姿勢を認識し、債権放棄というソフトランディングに持ち込むことができました。

一般企業も、地方自治体も同じで、財政的な問題で大切なことは、損切りをきちんとやることだと考えています。それにあたっては誠意を持ってあたり、皆さんが納得感を持ってことに臨まなければなりません。職員が身銭を切ることを示し、債権者が「溜飲をさげること、納得度を得る」、これが実現できたことが、第三セクターの解消について大きな役割を果たしたと思います。

中小企業診断士に相談にいらっしゃる企業の中には、にっちもさっちもいかなくなってからというケースがあります。中小企業診断士の判断としては、「これはあきらめましょう」と伝えなければならない事象が発生しますが、それは地方自治の場でも同じです。

使えるものは流用し、必要なものに振り向ける

青森市には新市庁舎として10階建て100億円の計画がありました。東日本大震災のときに全国的に市庁舎の耐震性が問題になりましたが、青森市役所は昭和31年に建築されましたので、建て替えなければいけないくらい老朽化が進んでいたのです。しかし、市役所の建て替えは難しく、他の公共建物、体育館や図書館などの新設要求が数多く寄せられていました。

市役所は耐震性が必要なのは誰もが認めるところです。当時は東日本大震災の影響もあり、高い建物を作ろうとしたのです。しかし、当時の青森市の実情はというと、一方では24億円の大赤字を抱え、その上でさらに100億円の借金をして建てようという計画でしたので、診断士の判断としては、当然ゴーサインが出せるものではありませんでした。

新庁舎建設ではなく、費用対効果の最大化を考え、市役所機能を商業施設として利用していたアウガの空きフロア1階から4階に移すことにしたのです。一方で立て替えを考えていた市庁舎は3階建てにして、防災上必要な機能だけを集めたシンプルな防災庁舎にすることで、費用も3分の1に収めることができました。100億円を考えていたところを33億円にしたので、残り67億は余る計算になります。この予算を老朽化した市民体育館の建替えに振り分けることにしました。ファシリティマネジメントといいますが、本当に必要な建物をどれにして投資を振り向けるか考え実施したのです。

一極化コンパクトシティの頓挫から得られた新たな知見

青森市政のもう一つの課題がコンパクトシティというものでした。富山に続いて2番目に認められたプロジェクトです。発案当時はアウガをピラミッド型の頂点とするコンパクトな街を目指したのですが、前述したように、要となるアウガは期待された役割を果たすことなく終わってしまいました。

では、青森はなぜコンパクトシティを目指そうとしたか。青森市は、30万人規模の都市としては世界一位の豪雪地帯です。累積豪雪量が6メートル/年にもなり、この雪片付けの量がすさまじいものです。青森市の除排雪実施の距離は、実に青森の県庁前から広島の尾道まで、ずっとブルドーザーが除雪するくらいの長さがあるのです。総延長1300kmを超え歩道部分を加えると平成30年度で1550kmにも達するのです。その除雪費は去年が39億円です。毎年39億円を雪で融かしている。これを何とかしたい。しかし、除雪しないと家がつぶれる。だから、青森市はできるだけ外側に住む人を減らして除雪費を減らそうとしたのです。動機は正しかったのですが、行政の思惑通りにコンパクトシティの実現はできず、頓挫してしまいます。

では、なぜコンパクトシティ構想が頓挫したのか、問題は青森を中心に都市計画を作ったときに二つのミスをおかしたからです。一つはエリアを区分する丸を同心円に切ったということ。オレンジの丸があり、緑の丸があり、白いエリアがあるが、オレンジをインナー、緑をミッド、外側をアウターと呼びました。この名前を間違えたことも失敗の要因に上げることができます。私の実家はアウターに位置していますが、そう呼ばれたらその地区に住んでいる人にしてみれば、感じ悪いと思うのではないでしょうか。青森市の中心はインナーと呼ばれます。インナーはえらい人、核となる人を意味することがありますので、インナーに指定された場所以外に住んでいる人はいい気持ちがしないでしょう。エリアを決めた円の切り方もさることながら名前を間違えたのです。

そして、再三話に出てきますが、頂点として発展しようとしたアウガが転んだことです。頂点であるアウガがうまくいかず、外側の人の反発もあったら、誰もコンパクトシティを応援しようと思わない。そんな状況が以前の青森市にはあったのです。その結果、ネーミングのまずさ、同心円で考えることのまずさからコンパクトシティ計画に市民の方が反発していて、選挙権を行使し、私の前に2回市長を交代させることになります。

アウガに市役所を移したら、青森駅周辺が変化を始めた

アウガを市役所にしたとたん、青森駅周辺にこれまでなかった動きが出てきました。それは、批判が多かったアウガのある青森駅前に投資が始まったのです。市役所を移してから商工会議所、地元の新聞社、クルーズターミナル、ダイワロイネットホテル、青森駅舎の建て替えなどが始まりました。
風評被害すらあったアウガでしたが、市役所が移転してきたことで、大きな変化を街にもたらしたのです。市役所というのは集客力があります。用事があってくるので、多くの市民がアウガを訪れるようになりました。つまり、人の流れがすさまじく変わりました。市役所が来てから、税金ではない民間のお金で投資が始まりました。青森駅前が急に生まれ変わりはじめたのです。

私は、「青森の街づくりはピラミッド型をやめます」と宣言し、コンパクト・プラス・ネットワークを提唱しています。核を複数持つ多極型コンパクトネットワークです。一極集中でやると絶対できない構造ですが、多極であるとそれぞれの核の近くに居住する市民が「自分が主役」と思えるようになります。

多極的に、それぞれの核に誘致したところ、東横インやエイビーホテルが市西部に出店するといった変化が発生し、街が変わってきました。これで私が市長になる前にあった二つの課題、アウガとコンパクトシティについてその傷を乗り越えつつあります。

さらに未来に向けて新たなチャレンジを

市政の負の遺産を乗り越え、新たな取組として、青森市は「新ビジネス挑戦支援プログラム」を積極的に推し進めています。現在大きく五つの支援事業が動いています。

  • 新ビジ支援:地域企業新ビジネス挑戦支援事業
  • リノベ:リノベーションまちづくり推進事業
  • あおビジ:あおもり地域ビジネス交流センターの運営
  • FS:あおもりフィールドスタディ支援事業
  • ベンチャー支援
    あお★スタ:あおもりスタートアップ支援セミナー
    ABCゲート:学生ビジネスアイデアコンテスト

これらの事業に加え、今年度新たなプロジェクトをスタートさせました。「士業による個別相談会&あおスタピッチ交流会(注)」です。士業による個別相談会は、中小企業診断士、税理士、社会保険労務士及び弁護士による、ビジネスに関する個別相談会を年6回程度開催し、創業準備者・創業者に対して専門的ノウハウを提供しています。また、あお★スタピッチ交流会では、「あおビジ」または「AOMORI STARTUP CENTER」を活用し起業した事業者のビジネスモデルや事業内容(商品・サービス)を、事業者自らピッチするイベントです。商品・サービスのPR並びに起業家および支援機関の交流を推進しています。

(注)ピッチ交流会:短い時間での自社の製品やサービスを紹介する催し

以上が青森市のこれまでと今、ですが、既に将来に向けてのプロジェクトもスタートしています。地方創生、街づくりへの議論が数多く行われていますが、中小企業診断士として得られた知識、経験が行政という世界でも十分に活用可能であること、可能であるだけでなく、むしろ、中小企業診断士の視点が地方行政にとって大変有用であることをみなさんの知見の一つに加えていただければ、と考えています。

小野寺氏へのご質問とご回答

最後に研修の時いただいたご質問への回答をまとめておきますので、参考にしていただければと思います。

小野寺氏へのご質問とご回答

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