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第139回 今こそ「“知的体育会系”としての実践」
前回「自らに問う力」をテーマに書かせていただきましたが、「問う力」というのは「自分の物差しづくり」につながっていきます。今回は、前回の続編の位置づけになってしまいますが、「問いの深さ~実践」すなわち「知的体育会系」の在り方に関して考えてみたいと思います。
今こそ「“知的体育会系”としての実践」
こんにちは!
ずいぶんと長い間、「イイ天気ですね」という表現を使っていないくらい「アッツいですね」があいさつのような夏の日々を送っています。先日の日経新聞一面に「12年ぶり暑さ」という見出しを見て「そうか、12年ぶりなんや……」と思っていたのですが、よく見ると「12万年ぶり暑さ」とあり、「じゅ、じゅ、“12万年”ぶりッ!?」って感じで、おののいてしまいました。
地球の気温「12万年ぶり最高」 古気候学者、温暖化警告(日本経済新聞 Webサイト)
この「地球温暖化から沸騰化への移行」と同じように、私たち自身も「便利さ・楽さ」に飛びつくことで、徐々に、しかも知らぬ間に浸食されていってしまうことが少なからずあるのだと思います。
前回「自らに問う力」をテーマに書かせていただきましたが、最近の中古車業界B社の一連の騒動や日本最大の大学での大麻問題での記者会見におけるコメントを聞いていて、残念ながら「自身に問う力」は稚拙な印象を拭えません。「問う力」というのは「答えに早く行き着く能力≒答えを出すスピード」ではなく、“問い続ける”ことを通じた“深さ”にあり、その継続を通じて得られる“自身の判断軸”すなわち「自分の物差しづくり」につながっていきます。
そして、さらにその「思考の深さに基づいた判断軸に基づいた実践」つまり、一橋大学名誉教授・野中郁次郎氏が2010年前後に提唱しておられたコンセプト「知的体育会系」の実践が問われる時代に来ているように思います。
野中郁次郎氏の「知的体育会系」は、「論理分析と直接経験・理論と実践・形式知と暗黙知・一見矛盾しているものを自分の中でスパイラルに回しながら成長していける人材」と定義されています。
「よく物事を知っている」とか「諦めずに頑張れる」だけではなく、「深く問い、その実践からまた問いを深める」の連鎖を指しているのではないかと思います。
今回は、前回の続編の位置づけになってしまいますが、「問いの深さ~実践」すなわち「知的体育会系」の在り方に関して考えてみたいと思います。
「地頭力」
「地頭力」という言葉を聞かれたことのある方も多いのではないかと思います。
偏差値35から2浪の末、東京大学に合格した現役東大生の西岡壱誠氏は「地頭がいいとは思考が深いこと」と定義し、「1つの問題に対して、簡単に答えを出さない」と指摘しています。
参考:地頭がいい人の見る景色は解像度が高い。暗記や計算の速さではなく「思考の深さ」がカギ(外資就活 Webサイト)
さらに、「地頭力」という表現の火付け役とも言えるビジネスコンサルタント・細谷功氏によると「地頭力」は六つの要素に分解されているそうです。
- 知的好奇心:何にでも興味を持って能動的に動く力
- 論理思考力:物事を筋道立てて考える力
- 直観力:いわゆる「閃き」
- 仮説思考力:結論から考える力
- フレームワーク思考力:全体から考える力
- 抽象化思考力:具体的な経験を一般化したルールにして、それを別のものに適用する力
参考:論理的思考力? 頭の回転の速さ? 空気を読む力? 分かるようで分からない“地頭”の正体を探る(Liiga Webサイト)
この中で「思考の深さ」「深く問う」のトリガーになるのが、私の表現では「ビジネスOS」に該当し、「知的好奇心」部分に近いかもしれません。
そして、私はその「ビジネスOS≒知的好奇心」がさらに細分化され、それを構成しているのが、
- 当事者意識
- 可謬主義
- 弁証法的思考
- 配慮範囲
が挙げられるのではないかと考えています。
短絡的・盲目的な結末
最近の中古車業界B社の件も経営陣の考え方や思考性が、最も大きな責任があるのだと思いますが、それと並行して、一方にはそんな経営陣の指示や命令を
- サラリーマンなんて、こんなモンやろ
- 仕事なんて、こんなモンやろ
- 上が言っているんだからしゃあないやろ
的にある意味、無条件に受け入れてきた「当事者意識のない」社員の存在も、その責任の一端を担っていたことも事実として受け入れなければいけないように思います。
今になってメディアのインタビューに告発めいた発言をしている「元社員」の人たちも少なからずいて、自分の正当性を言っているようですが、本当にそれを問題として捉えていたのであれば、解決に向けた自浄能力を担うことが「当事者性のあること」の証しではないかと思います。
「それができないから退職した」と仰るのだと思いますし、それもご本人にとっては「片棒を担がない」という選択にはなっていることは事実だと思いますが、少なくとも「課題解決に向き合う当事者」にはならなかったことは事実であり、また同様な大きな課題にぶつかった時に、その方は、きっとまたその場から去るという選択をとるようになるような気がしてしまいます。
いずれにしても「会社のため」という呪文のような言葉も含めて、「盲目的、あるいは短絡的に信じてしまったらアカン」ということなのではないでしょうか……。
脳科学者・中野信子氏も「もやもやした感覚を楽しめることが『本当の頭の良さ』を育む。真の知的体力を高めるための大切な習慣」の中で示している示唆的なフレーズとして、
- 人生の質を高めるには安易な結論に飛びつかない
多くの人が「普通」「常識」「当たり前」とみなしている意見や考え方に注目して、それをあらためて自分の頭で考え直してみるのです。~中略~「答えは◯◯だ」と白黒はっきりすれば気持ちよく感じるし、それを耳ざわりのいいワンフレーズで表現されると、「あの人は頭が切れる」「みんなの気持ちが分かっている」などとみなしがちです。しかし、厳しい言い方をすれば、それは思考が停止した状態と同じなのです。
- 正解を求めるのではなく正解にする
- 変化の激しい時代こそ「時間がかかる」インプットを
などが挙げられます。
参考:もやもやした感覚を楽しめることが「本当の頭の良さ」を育む。真の知的体力を高めるための大切な習慣(STUDY HACKER Webサイト)
そして、実践を通じた「経験学習サイクル」
こうしたビジネスOS・マインドセット・地頭力・知的好奇心……、といったいろいろな表現があるかと思いますが、ここまでが「知的体育会系」の「知的」の部分を指していると考えています。
そして、最終的に「知的“体育会系”」に昇華するための条件として挙げられるのが、組織行動学者のデイビッド・A・コルブ氏が提唱した「経験学習サイクル」があります。
ここでも根性論的にやみくもに「具体的な行動・実践」をするだけではなく、その「行動・実践」から適切な「振り返り」ができ、さらに、その個別認識を「抽象化・概念化」する能力がないと、次のレベルにステップアップした実践に展開できませんので、また“知的”の部分が問われます。
この夏を「知的体育会系」人材、あるいは組織に転換するキッカケにしてみませんか。
今後もよろしくお願いいたします。
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