ITとビジネスの専門家によるコラム。経営、業種・業界、さまざまな切り口で、現場に生きる情報をお届けします。
第15回 交通事故に遭わない防衛運転の考え方
トラックドライバー向けの安全運転研修では、安全運転のレベルではなく防衛運転のレベルを求めています。
防衛運転とは「自分が交通事故を起こさないことはもちろん、交通事故に遭わない運転」であること。
しかしながら「やられた交通事故(もらい事故)は避けようがなく仕方がない」との風潮も散見されます。
私は「本当に仕方がないのだろうか?」と問いたい。
それは「やられた事故が軽微な事故」だからそう思えるだけでは。
その場合は「重篤事故でも仕方がないと思えますか?」と問いたい。
交通事故の恐ろしさは「会社の中から突然に誰かがいなくなる」こと。
ドライバーが運行をはじめとする業務中に発生した事故により、二度と帰らぬ人になる。
もしくは避けにくかった状況で発生した交通事故でも、前方不注意等の検分で有責者になり、不本意ながらもドライバーが身柄を拘束されてしまう。
仕事柄、今までにそんな悲しい場面にも何度か向き合ってきました・・・。
その悲しみは「交通事故をやった時」も「交通事故に遭った時」も同じこと。
だから今、「交通事故に遭ってほしくない」との思いから防衛運転を求めています。
特に運送会社の交通事故への関与は、過失割合や発生状況を問わず、飲食店における食中毒発生と同じこと。
飲食店が「うちが仕入れた食材が原因。うちは調理しただけだから『もらい食中毒』です。だからうちの店は悪くない!」と言い張って、一切の非を認めたがらないのと同じこと。
飲食店の食中毒発生と同様、「もらい事故」でも「人・モノ・カネ」と「仕事」を失いかねません。
ある運送会社では「やられた交通事故は事故件数にカウントしていない」とのこと。
これは「やられた交通事故は仕方がない」と思っている証拠では。
ただし「交通事故をやられるドライバーは何度もやられている」現象も。
そういうドライバーに対して添乗指導をすれば共通点が見えてくることも。
例えば「ウインカーやポンピングブレーキなどの合図を出すのが遅い」
すなわち「自分の意思や行動を周囲に伝えるのが遅い」との共通課題。
これは運転への考え方が自分主観になっていることが運転行動に表れている現象かも。
もう一度「やられた事故は仕方がないで済ませるべきだろうか?」と問いたい。
防衛運転の考え方を運転行動に用いれば、必要以上に速度を出さなくなります。
周囲を走行する他車よりも速度を落とせば、自然と車間距離が確保できて燃費も向上することも防衛運転の特長。
速度を抑えるのは前方の予期せぬ状況にも早く気付いて早く対処ができるように。
「認知→判断→操作」なんて机上の理論は通用しないほどの一瞬で、ドライバーの人生が決まってしまう。
万が一、前方車両に追突してしまったとしても、時速60キロで追突するのと時速30キロで追突するのとでは双方のダメージが違うはず。
防衛運転を指導することはドライバーを交通事故から守ること。
それはドライバーの身体を守ること。
不幸にも有責者となってしまった場合にでも、少しでも相手の身体を守りドライバーの運転免許証も守ること。
それはドライバーの生活を守ること。
たしかに法規上でも交通事故が発生するのはドライバーの責任です。
しかし交通事故を防止できなかったのは管理者の責任だと思います。
管理者の安全への思いがドライバーの運転行動に表れます。
管理者は、あえて「交通事故は絶対にゼロにはならない」と考えるべき。
そう考えて、無事故の日を1日でも長く続ける努力を怠らないこと。
そう考えて、少しでも事故の被害を小さくする努力を怠らないこと。
管理者はドライバーを交通事故から防衛し続けてあげてください。
どうか防衛運転で「やられた事故(もらい事故)をもゼロにする」ことをあきらめないでください。
2013年のコラム更新は今回が最後とのこともあり、長文になってしまいました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。
皆様ご安全に。
ありがとうございました。
次回は2014年1月10日(金)更新の予定です。
前の記事を読む
次の記事を読む