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第27回 IT立国エストニア訪問記
IT関連の方々には既に有名なエストニアですが、訪問して関連機関や事業者から直接状況を伺う機会に恵まれましたので、訪問記を書きました。
IT立国エストニア訪問記
エストニアってどんな国?
筆者にとっては、ITで有名になる以前のエストニア(エストニア共和国)は、旧ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)の一国でバルト三国の最北に位置する国、どちらかというと社会主義国家、寒いところで主な産業は漁業、というイメージでした。
地理的には、ロシアと陸続きで国境があり、反対側はバルト海 に面しています。
首都タリンはフィンランド湾口にあり、ハンザ同盟都市として栄えた港湾都市でヘルシンキとはわずか約85Km(≒東京~御殿場)、湾の最奥 サンクトペテルブルグとは約350km(≒東京~仙台)に位置しています。
人口は、約130万人、面積は、約46,000Km2(九州の約1.2倍)。ドイツとロシアの影響を受けざるを得なかった小国ですね。
現在のエストニアは、自由経済主義の国家で、
1991年にソ連崩壊の流れの中で独立し、2004年には、EUに加盟しています。
2016年の1人当たり名目GDPでは、世界42位17,786米ドル(日本は22位38,883米ドル)と経済も安定している国です。
ちなみに、日本で著名なエストニア人は、元大関の把瑠都氏、NHK交響楽団の首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ氏ですね。
エストニアを実際 に訪問してみますと、世界遺産タリン歴史地区の周辺にはモダンなビルが立ち並び、安全で活気のある街でした。
そして、おいしいお酒 VanaTallin にも巡り合えました!
IT立国って?
エストニアは、1991年にソ連崩壊という背景から、晴れてエストニア人国家として独立しました。
資源も乏しい中で、これといった産業もなく、ヨーロッパとソ連の間に挟まれて、侵略の歴史をかいくぐってきたエストニア人として、どのような国家創りをするべきかという大命題に、指導者たちは、「デジタルファースト」を掲げて新国家創造を進めたのです。
そして、世界最先端IT国家を着実に実現してきた国がエストニアなのです。
実際にどのようなITの状況でしょうか、エストニアの訪問先で入手した情報と日本の統計とを比較してみました。
注2 出典:平成 27 年度における e-Tax の利用状況等について(国税庁;PDF[393.39KB])
エストニアは、行政主導で「電子政府」として国民番号(eID)とクラウド連携(X-Road)という基盤を整備し、これらのサービスを実現しています。
まさに「IT立国」ですね。
個人的には、Skypeを発明したエストニアなので「ICT立国」と命名してほしかったですが……。
デジタルによる「利便性」「透明性」「低コスト」追求という素晴らしい思想
エストニアは、独立してわずか四半世紀でIT立国を実現した国として世界から注目をされています。
小国が、侵略のリスクを回避しつつ新国家創造を推進するために、「デジタルの力」の活用に目をつけたのは必然ではあったとしても、実際に整備を進めるにあたりさまざまな紆余曲折があったことと思います。
筆者は、それらを乗り越えIT立国を実現できた要因は、一貫して3つの思想を追及していることではないかと考えます。
3つの思想は
- 利便性
- 透明性
- 低コスト
です。
どんなに素晴らしいことでも、面倒で不透明で、より高価なものは、わざわざそれまで実現できていたやり方を変えてまで採用されません。どんなに強制されても普及はしないものです。
「笛吹けど踊らず」では、せっかくの音色も深く浸透しません。
原点に立ち戻って判断する基準を設けて事業を推進することは、とても大事なことだと思います。
- 利便性
エストニアの電子政府は、OnceOnly原則(データを集めるのは1回限り)という考え方で構築されています。
これは、国家に限らず情報システムの構築には欠かせない一丁目一番地的原則です。
エストニアも日本と同様に独立した15の省庁が各テリトリで権限を持って運用されています。
しかし、eIDとX-Roadは、例外的に行政をまたいだ横串で運用されているのです。
電子政府は、管轄の異なる複数の行政機関に同じ情報を何度も提出しなくてすむようにシステム設計されています。
面倒で無駄に感じられるやりとりが発生せず、国民は生活の効率が向上していることを実感できるのです。
さらに、行政サービスに限らず、民間との連携のためにe-Estonia Councilという機関があり、通信事業者や金融業者も、OnceOnly原則を遵守してトラストサービスを提供しなくてはならないように設計されています。 - 透明性
最近、わが国で大問題となっている透明性です。
情報は、正しく扱われないと不信の連鎖を招き混乱しますね。
透明性が担保されていると、正しく信頼のおける情報がどんどん集まります。
エストニアでは、個人の情報を取り扱うにあたり、情報のオーナーは個々の国民であることが徹底されており、自分のデータに公的機関や医療機関などがアクセスした履歴をいつでも閲覧できる仕組みとなっています。
そして不信なアクセスがあった場合には、管轄機関に調査依頼できる制度もあり、安心して情報を預けることができる環境が構築されています。
情報そのものの完全性とトレーサビリティー確保を、デジタル技術を駆使してX-Road上で担保しているのです。 - 低コスト
資源も主立った産業も無い中で、エストニアがIT立国を推進するには、低コストでのスピード開発が必須でした。
リソース不足を国内外の民間セクターを最大限利用することで推進し、外国からの投資も積極的に受け入れています。
政府としては、2年単位の個別戦略プランを策定し、常に新しい技術を取り込む活動を推進しています。
電子政府開発において、まず行政サービスでの分析・コンセプトから技術者を動員して進め、電子サービスを前提とした設計を行い最後に立法するという、スピードを意識した工程で進められています。
人財を増やし、資金も集めるための政策として、2014年に「電子居住権」(E-Residency)制度を施行しています。国籍を問わず、誰でもエストニア居住権を得られる仕組みです。
現地に、法人開設、銀行口座開設、がインターネットでできるのですね。実態はwebで公開されており、応募者が154ヵ国から33,438人、法人開設が5,033という驚異的な数字です。(2018年4月現在)注4
このことは、リソースや資金不足を補うことはもちろんですが、世界各地にエストニアひいきを増やすことになり将来にわたって国家としての価値を高めることになるでしょう。日本では考えもしない政策ですね。
注4 出典:REPUBLIC OF ESTONIA E-RESIDENCY
eIDとeIDカード
エストニアでは、国民全員に生まれた時点で連番の国民番号(eID)が付与されます。
そのフォーマットは
ID番号:A BB CC DD EEEF
- A :性別/何世紀生まれか
- BB :出生年
- CC :出生月
- DD :出生日
- EEE:シーケンス番号
- F :チェックサム
です。
国民番号を見るだけで、性別、生年月日は分かってしまいますが、シンプルで利活用しやすいですね。
日本のように個人情報としての取り扱いとして気に掛けることよりも、利便性を追求しているのだと思います。
eIDカードは、2002年から15歳以上の国民全員に無償でカードリーダーと一緒に強制的に配布されています。
発行時に国から、e-mailアドレス(Firstname.familyname@estonia.ee)も振り当てられます。
カードには、日本のマイナンバーカードと同様に
顔写真、氏名、性別、生年月日、とeIDなどが記載されており、
署名用秘密鍵と電子証明書およびアクセス認証用秘密鍵と電子証明書も格納されています。
強制的に配布、すなわち国民はeIDカードの所持が義務付けられているのです。
このことで、政府としては、電子のみでのサービス提供が可能になり、紙による運用を削減しているのです。
利便性の追求をしたうえでコスト削減が徹底されています、すごいことだと思います。
国民生活の向上を図るという目的のため、サービスへのアクセスがいかに簡便にできるかがポイントです。
エストニアでは、まずeIDカードを配布し、より利便性の高いスマートフォン活用への移行を実践しています。
eIDカードはただ配布するだけではなく、eIDカードを利用しやすいように、当初よりカードリーダーを無償で配布しています。
そして、eIDカードに格納されている、アクセス認証用秘密鍵を利用してスマートフォンとの連携ができる仕組みが提供されました。
2007年からは、モバイルID(SIM)というサービスが開始されています。
eIDカードのアクセス認証用秘密鍵で本人確認をして申請ができ、プロバイダー発行のSIMが入手できます。
ユーザーは、SIMに署名用秘密鍵やアクセス認証用秘密鍵が格納されているので、eIDカードを持ち歩かなくても、いつでも、どこでもさまざまなサービスにアクセス、署名ができるのです。
さらに2017年2月からSmart-IDという新しいサービスが運用開始されています。
これは、クラウド側にある本人の秘密鍵を、リモートで利用できる仕組みです。
初回に、eIDカードもしくは、モバイルIDを利用して認証することで、いつでも、どこからでも、アプリを起動することで、サービスにアクセスし署名ができる仕組みです。
モバイルIDもSmartIDも、ユーザーの利便性原則そのものですね。
X-Road
X-Roadは、2001年に実装された政府機関や民間のシステム連携基盤です。
専用回線による通信網の保護ではなく、インターネットを利用してデータの暗号化で情報保護をしています。
X-Roadに接続する組織・サービサーは、情報の暗号化・復号を行うセキュリティサーバーを実装し、政府機関が運用する中央のセキュリティサーバーと同期をとっています。接続されているサービスは、e-Sealを利用しており、その証明書が定期的に更新され、問題が発生した場合はX-Roadから切り離されることで信頼性を確保しています。
REPUBLIC OF ESTONIA INFORMATION SYSTEM AUTHORITY"Data Exchange Layer X-Road"
2018年4月時点で、817の民間企業・機関と620の公的機関が接続されており、2,318のサービスが提供されて毎月8,000万件以上のクエリがインターネット上を飛び交っています。
*最新の状況は以下Webサイトで確認できます。
eIDで配布されている個人認証秘密鍵でアクセス、署名ができるクラウド上のサービスインフラですね。
利用シーン
eIDとX-Roadという素晴らしいインフラがエストニアでは整備されていますね。
では、いったいどのような場面で利用されているのでしょう、
どこかの国のように、インフラはできているが利用されていないのでは?
いえいえ、そんなことはありません。
利用シーンの一例として紹介を受けた内容です。
- EUとシェンゲンエリア内の法的な旅行のためのパスポート
- 自宅のコンピューターから銀行口座にログインする際の身元証明
- 電子投票
- 国民健康保険証
- 政府のデータベースへアクセスして医療記録のチェックや、税金の申告
- 電子処方箋の入手
- 電力、水道、通信事業者などの公共インフラと国民間の電子契約
そして実際のアクティブユーザーとトランザクションは
- eIDカード:アクティブユーザー 650,000人(50%)
- モバイルID:アクティブユーザー 140,000人(11%)
- トランザクション:1800万件/月
- ユーザーごとのトランザクション:eIDカード=24回/月、モバイルID=38回/月
とのことです。
なんと、モバイルユーザーは、平均で毎日利用しているのです。
確実に国民の生活に浸透していますね!
利便性が高いので利用する、サービスもインフラがあるので安価にどんどん提供される。
まさに、デジタルの良さが、好循環で回っているすごい実態だと思います。
エストニアでは、このX-Road構想を世界へ広めようとしています。
国境を越えてさまざまなサービスを利用できる社会の実現です。
実際に、フィンランドとは2017年3月より共同で開発を開始し、アフリカの国々やメキシコとの連携も進めています。
ICT立国エストニア
エストニアのIT立国は、指導者が賢明で強力なイニシアチブで推進していることが一番の要因ですが、いくつかの条件が重なっています。
- ソ連からの独立とデジタルネイティブ世代による「0」からの出発
- インターネットや携帯電話の普及期と重なった
- フィンランドというIT先進国をはた目で見てきた
- 小人口密度だから空間を超えて情報交換ニーズがある
- 小人数だから決定統制のスピードが速い
- いつまた侵略されるかもしれないというリスクをデジタルデータの分散による回避
弱点やリスクを、機会を捉えて逆に強みにしていくことが実践されています。
デジタルデータだから構築できた、信頼性を担保する基盤を0から設計し運用しているから実現できたのです。
透明性が高く、信頼性の高いX-Roadの実現で、今、エストニアでのスタートアップ投資が注目されています。
まさに、ICT立国! これからさまざまなサービスがこの国から発信されることと思います。
わが国も見習うことがたくさんありますね。
次回は5月中旬更新予定です。
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