第11回 賃上げは進んでいる。では、その原資はどこから生まれているのか~賃上げと利益構造の“ズレ”を読み解く(2026年版 中小企業白書ベース)~
「賃上げは進んでいる」。この言葉を、ニュースでも職場でも聞くようになりました。一方で、賃上げを“続ける”となると、話は少し変わります。賃上げは意思決定で実行できますが、継続には原資を要します。
2026年版中小企業白書は、中小企業の持続的な賃上げの重要性を示しつつ、大企業と比べて賃上げ余力が厳しいこと、そして追加の原資確保が課題であることを明確に述べています。ここでは、市場調査の視点で白書の記述をたどりながら、「賃上げ」と「利益構造」との関係を一緒に整理していきます。
賃上げの原資はどこから生まれているのか~賃上げと利益構造の“ズレ”を読み解く
賃上げは確かに進んでいる
最初に前提となる数字を確認します。
白書(概要)では、2025年春季労使交渉の賃上げ率が全体で5.25%、中小労働組合で4.65%となり、約30年ぶりの高水準だった2024年を上回ったと整理されています。最低賃金も、2025年度は全国加重平均で前年度比+6.3%を記録し、全都道府県で1,000円を超えたと示されています。
ここまでの情報だけでも、「賃上げが進んでいる」という認識には一定の根拠があるといえそうです。また白書は、中小企業の現金給与額は大企業との差があるものの増加傾向にあり、雇用の約7割を担う中小企業における賃上げが日本経済にとって重要だと位置づけています。

(上図)資料:日本労働組合総連合会「2025春季生活闘争第7回(最終)回答集計」(2025年7月1日集計・7月3日公表)
(下図)資料:厚生労働省「地域別最低賃金の全国一覧」
- * (上図)ここでの「中小賃上率」とは、組合員数300人未満の中小組合における賃上げ率をいう。また、ここでの賃上げ率は、平均賃金方式(組合員の平均賃金をいくら引き上げるか、つまり1人平均の労務コストをもとに交渉する方式)での賃上げ状況の推移を見たものである。
出典:「2026年版 中小企業白書・小規模企業白書の概要」(中小企業庁)
ここで大事なのは、「賃上げは確かに行われている」が、もう一段奥にある「その賃上げを支える原資はどこから来るのか」だと考えます。
原資の基本構造:付加価値→利益→賃上げ
賃上げの原資を考えるとき、まず押さえておきたいのは「企業が生むお金の流れ」です。白書は中小企業の「稼ぐ力」を付加価値を生み出す力と定義し、その強化が重要だと述べています。そして付加価値は、白書の枠組みでは付加価値額=労働投入量×労働生産性と整理されています。
この式は、賃上げの議論にもつながります。白書(概要)では、直近10年間で労働生産性の伸び率が大きい業種ほど、1人当たり賃金の上昇率も高い傾向が示されています。つまり、賃金は“気合”ではなく、付加価値(とその生み方)と関係しやすい、という整理が成り立ちます。ここで、基本の順序を一度、図にして固定します。

もちろん現実はもう少し複雑だと思われます。ただ、少なくとも「賃上げの継続」を語るなら、どこかで利益(余力)が必要になります。この“順序”を基準として持っておくと、次に出てくる「ズレ」が見えやすくなるのではと考えました。
中小企業の現状:賃上げと利益構造とのギャップ
白書では賃上げの重要性を強調する一方で、「賃上げ余力は厳しい」「さらなる賃上げ原資の確保が課題」と明言しています。この背景の一つとして示されているのが、中小企業の労働分配率が既に8割に近い水準にあるという点です。
労働分配率が高いということは、付加価値の中で人件費が占める割合が大きいという意味になります。言い換えると、同じ付加価値でも「利益として残る余地」が相対的に小さくなりやすい構造です。

資料:財務省「法人企業統計調査年報」
- * ここでの大企業とは資本金10億円以上の企業、中小企業とは資本金1億円未満の企業とする。
- * 金融業、保険業は含まない。
- * 付加価値額=営業純益(営業利益ー支払利息等)+人件費+支払利息等+動産・不動産賃借料+租税公課。人件費=役員給与+役員賞与+従業員給与+従業員賞与+福利厚生費。
図の見方:中小企業では付加価値に占める人件費の比率が高いことを示します。
出典:「2026年版 中小企業白書・小規模企業白書の概要」(中小企業庁)
ここにもう一つの要素が重なります。白書は「価格転嫁の推進」を労働生産性向上(稼ぐ力の強化)に向けた重要な取組の一つとして挙げています。そして、関連する公的調査として、中小企業庁の「価格交渉促進月間フォローアップ調査」では、2025年9月時点の価格転嫁率が53.5%、コスト要素別では原材料費55.0%、労務費50.0%、エネルギー48.9%と公表されています。この数字をどう受け取るかは企業ごとに異なります。ただ、「コスト上昇を価格に反映できる割合が常に100%ではない」という状況が、少なくとも政策文脈では共有されているといえます。
ここまでを踏まえると、今回のテーマである“ズレ”は次のように整理できます。

「賃上げが悪い/良い」という話ではありません。“原理としての順序”と、“現場で起きやすい現象”が一致しない局面があり、そのズレが継続性の論点になりやすいということです。
なぜこの“ズレ”を構造として捉えるのか(短期の損益では見えにくい)
では、このズレは一時的なものなのでしょうか。
白書(メッセージ)は、経営環境の転換期において「現状維持は最大のリスク」と表現し、短期的な損益だけでなく、事業構造・組織構造を長期視点で再構築する必要性に言及しています。背景として挙げられているのが、人手不足感の強まりです。
白書(概要)では、2010年代以降、多くの業種で人手不足感が強まっており、特に建設、運輸・郵便、情報通信などで不足感が強い傾向が示されています。図表としても、業種別の労働者過不足判断DI(不足感)を提示しています。

資料:厚生労働省「労働経済動向調査」より中小企業庁作成
- * 「常用労働者」過不足判断DIを集計したもの。
- * 「常用労働者」とは、 「正社員等」「臨時」「パートタイム」を含み、「派遣労働者」は含まない。
- * 「労働者過不足判断DI」とは、労働者数について、調査日現在の状況で「不足(やや不足、おおいに不足)」と回答した事業所の割合から「過剰(やや過剰、おおいに過剰)」と回答した事業所の割合を差し引いた値。なお、他のDIと同様の傾向を把握するため、公表結果を逆転して表示している。
出典:「2026年版 中小企業白書・小規模企業白書の概要」(中小企業庁)

資料:厚生労働省「雇用動向調査」(令和7年上半期調査結果)
- * ここでの「不足している職種」とは、職業別の未充足求人(仕事があり、その仕事に従事する人を補充するために行う求人のことであり、求人方法は問わない)を指し、全体の未充足求人数に対する職業別の未充足求人数の割合を示している。
- * ここでの中小企業とは常用労働者数5人以上299人以下の企業とする。
- * 金融業、保険業は含まない。
- * ここでの「その他」とは、「保安職業従事者」、「その他の職業従事者」の合計。
出典:「2026年版 中小企業白書・小規模企業白書の概要」(中小企業庁)
人手不足が続く環境では、賃上げは「やりたいからやる」だけではなく、「必要に迫られて検討する」場面も増えます。一方で、原資側(利益)を厚くするには、付加価値の増加と価格設定(価格転嫁)を含む収益構造の見直しが必要になります。
だからこそ、白書は「稼ぐ力(付加価値を生み出す力)」の強化と、労働生産性の向上を中核に置いています。また、実際に中小企業の時間当たり労働生産性が上昇傾向にあること(2015年度比+25.5%など)も示されており、「改善が起きている領域がある」ことも同時に示唆されています。
ここまでをまとめると、次のような“問い”に落ち着きます。賃上げの是非を議論する前に「賃上げを支える余力(利益)を、どの構造で確保するか」、そして「その構造は今の人手不足・コスト環境でも回る形になっているか」だと感じました。
まとめ(次回予告)
本稿では、白書の記述を手がかりに賃上げと利益構造との関係を整理しました。賃上げは確かに進んでいます。一方で、労働分配率が高い構造や、価格転嫁が満額にならない局面などが重なると、「付加価値→利益→賃上げ」の順序が保ちにくいケースが生じ得ます。
次回は、「付加価値はどのように生まれるのか」をテーマに白書が示す“稼ぐ力”の中身(労働生産性、付加価値額の増加、労働投入量の最適化)をもう少し具体的に見ていきます。
担当者のつぶやき
テレビでは物価高やその対策、価格高騰について連日取り上げられています。一方で中小企業白書では、サービス価格は適切に引き上げていくべきといった示唆が見られます。
私自身も1人の労働者であり、同時に消費者でもあるため、どちらの立場の考えにもうなずくところがあります。勤勉な労働者でありながら、同時に善良な消費者でもありたい――そんなふうに思います。