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第23回 コトバと文字、そして「書き記す」ということ
トラストという観点で、対面(空間)のツールである「コトバ」と書面(時間)のツールである「文字」について書いてみました。信用を得る方法の歴史の中で、インターネット社会は、これまでとはまったく異なる概念が求められる社会になっています。
コトバと文字、そして「書き記す」ということ
はじめにコトバありき
大昔から人間は、対面で発言し合うことでコミュニケーションしてきました。
コミュニケーションの語源は、ラテン語の「Communus(コミュナス)」から来ている。
といわれています。この“Comm(コム)” という音が頭につく単語は「Common:共通」「Commend:推薦する」「Comment:注釈・世評」「Commiunity:共同体」……。ビジネスの場でよく耳にする、コミットメント(Commitment)も“Comm”ですね。コミュニケーションとは一方的ではなく、思いを共有し、相乗的に思いを深化させることなのですね。
その手段として、人間は「コトバ」を発展させ活用してきたのです。
「コトバ」は、高低、緩急、大小、さまざまに抑揚をつけて感情をリアルタイムで表現できる便利なツールです。そして、ヒトの発声構造によってフォルマントが異なるので、誰が話しているかを聞き分けることができます。これほど、信を確認できる手段はないですね。現在でもさまざまなニュアンスが伝わる肉声が、やはり一番安心・信用できることに変わりはありません。
肉声のみを信じていたことを明確に表している単語があります。
「監査」です。
「監査」は英語でオーディット(Audit)といいます。Audioと語源が同じで、聴く人たちという意味です。少なくとも12世紀まで、財務勘定の監査は、たとえ書類に書かれていても、それを読み上げさせて耳で聴くことによって行われた。ようです。
数字ですら見るだけでは駄目で、必ず声に出して読み上げる、それを関係者全員で聴くことにより共通認識としたのです。
そして文字の進化
もちろん、文字という技術は大昔から存在していて、パピルスや石に刻み込まれていました。
しかし、かのプラトン先生が「書くという技術は頭脳の亡失をさせ人類の衰亡を招く」とまで言っているように、文字は信に値しないものだったようです。
肉声コトバは思考と結びついているが、手書き文字は、ニュアンスが正確に伝わらなくて、読み手の意思で解釈されてしまう不実なものであるという考え方です。
書くということで安心してしまい、記憶しないので能力ダウン。何かに記録すると、その情報は固定化されて対話(プラトン先生は「対話が肝要!」と言っていますね)で議論ができないそして、そのことは、人類の衰亡を招く?!
昨今の、クラウド情報社会「グーグル先生に聞こう」を既に、大昔に警告を発していたのですね。それも、ソクラテス先生のコトバを書き残したプラトン先生が言っているのですから、いかに「書き記す」ということが危険なものであるかということですね。
ここで、少し、書き記すことについて考えてみました。
書き記すということは、今も昔も情報が整理されて、目に見える符号として時間と空間を超えて保持されるということです。そのときの書き手によって情報がフィルタリングされ、将来の読み手によってその情報の解釈がされる。すなわち、書き記すことで、情報は発信者本人の意思から遊離し、ひとり歩きを始めるということです。
「書き記す」を分解すると
- 情報が整理されて……というよりも圧縮されて
- 目に見える符号……すなわち文字となって
- 保持される……何らかの媒体に固定される
これは、それぞれにおいて技術革新がないと、とても信に値するものにはなりませんね。
情報を共有しPDCAサイクルを回すことは、昔から人類の発展には欠かせないものであったはず。しかし肉声コトバの発信と異なり、書き記すことは大変な作業を要したため、文字は、“Comm”ではなく、一方向で、絵文字から表意文字、そして表語文字へと技術革新を経て進化したのです。
アルファベット26文字、仮名文字50音、数万の漢字……。そして、それらを組み合わせて生成される無数の単語たち。物体、景色、五感で認識するもの全て、さらには、感情や意思、実在しないものまで、眼に見える形で共有できる仕組みを構築・発展してきました。すごい発明です。
印刷技術の発明
文字、単語たちの発明がされたのですが、手書き・筆写のみの時代では、文字はまだまだ声の副生物でしかなく、監査はあくまでも読み聞かせでした。なかなか、文字は信用されていませんでした。
画期的な技術革新は、15世紀まで待つことになります。
活版印刷技術の発明です! 文字記録の複製、大量配布が可能になったのです。大量配布は、知財で解説した「オープン戦略」ですね。
対象の内容を大勢に、同時に配布することで共有(Common)し、信憑性を高めることができるようになったのです。文字が、一部の人々の占有から解放されたのです。
印刷には相応の労力を要します。そのために、情報の正確性の精査がされるという新たな文化が発生したのですね。間違ったことを残したら、信用をなくしてしまうからです。信用をなくすと、どうなりますか?
信頼することができないので、発注が来なくなるのですね……。
印刷技術の情報処理におけるインパクトは大きく、いったん普及が始まると、文字や単語、情報精査の品質は、書き手・読み手の要求による相乗効果に伴って飛躍的に発展したのです。私は、印刷技術の発明が、手書き文字による記録の信憑性向上をもたらしたのではないかと思っています。
信憑性のある記録は、時空間を超越し、そこに居合わせない者の発言を声もなく話すことを可能にしたのです。
肉声という一過性の情報を、表語文字として紙に書き留め、固定する。過去の事象の証跡として、後世に同一性を保って複数残すことができるようになったのです。
その後の、文字文化の発展は、皆さんご承知のとおりです。
文字記録の有用性は音声コトバの比ではなく、圧倒的な情報量を扱い、情報の確からしさをより高めました。
かくして、信用する判断基準は、本人確認である肉声すなわち対面に加えて、情報の確からしさを補完する書面が主流となったのです。
インターネット時代のトラスト
ここまで、トラストの根拠としての確からしさを確認する手段が、情報発信者の音声コトバが基本で、その後の長い年月における、文字の発明と印刷技術による記録の信頼性向上により形成されてきた時代の流れを書いてきました。
インターネットの普及によりそもそもの信頼の元である、「コトバ」が印刷物という束縛から解き放たれてしまいました。あらゆる情報を、いとも簡単に生成・残すことができてしまう「情報の精査がされない」社会が短時間に爆発的に発展しています。
これまでの社会は、前述のとおり
- 情報が整理されて……というよりも圧縮されて
- 目に見える符号……すなわち文字となって
- 保持される……何らかの媒体に固定される
といった、ある制限の下に、長時間かけて情報の信頼性を微妙なバランスで担保してきたのですが
デジタルとコンピューターの力によって
- 情報は、ほとんど圧縮されることなく
- 特定の文字に頼ることもなく世界中の誰もが認識でき
- 無限のストレージと通信網を経て流通される
無制限の環境下で、情報の信頼性を確認しなくてはならない時代になったのです。
これからは、膨大な情報のフィルタリングと検索をする能力が問われる社会になるのでしょうね。これまでは紙に書き留め、固定されていた情報を、デジタル技術で固定し、無限のストレージと通信網内で自由に流通させることが、インターネット時代の新しい「書き記す」ということになるのだと思います。
そもそもの情報に信頼のおけるエビデンスを付与するタイムスタンプの重要性をあらためて痛感するところです。
インターネットによって瞬時に世界中のEveryoneへの広報と、特定関係者Someoneへの狭報、そしてSNSによる個人間での会話が共存する社会になりました。
コトバから始まったコミュニケーション手段が、文字も単語も記録も媒体も「変わる」、「代わる」、「替わる」、んです。正確に情報を継承してPDCAサイクルを回すために、これからいったいどのような技術革新が行われるのでしょうか?
私は、プラトン先生のコトバに、急速に発展しているインターネット社会において情報処理における技術革新を考えるヒントが隠されていると感じます。
「書くという技術は頭脳の亡失をさせ人類の衰亡を招く」
⇒膨大な知識は機械が管理し、いつでもどこでも誰とでも対話ができる環境の構築による人類の発展。
「本当のことは消えることもないし減ることもない。時空間を超えて存在する。」
⇒この真理を確実に担保するトラスト環境の構築による安全・安心社会の実現。
そして、これらは、デジタル技術とコンピューティングによって可能になるのです。
とてもわくわくしますね。
次回は10月3日(火)更新予定です。
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